茨城の20世紀遺産 |
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21世紀に入り、もう5年も過ぎた。中村草田男が昭和初期に詠んだ「降る雪や明治は遠くなりにけり」は大正年間も15年を過ぎ、明治時代を振り返った時の句という。平成も17年となり、昭和時代も振り返るような時代になったのかもしれない。明治時代が欧州の近代産業、洋風建築を物まねから始まり、本格的に取りこんだ時代が20世紀の初頭であり、国産化した時代でもある。産業近代化遺産もそのような目で見ると先人の努力の跡が見えるようである。読売新聞茨城県版に1999年に1年間連載されていた「茨城の20世紀遺産」がその後、どうなっているのかが気になり、無くなったものもあると思い、これから改めて追跡調査をしてみたいと思った。また、茨城県にはこの他にも多くの近代建築もあり、近代化遺産を紹介していきたいと思う。 | ||||
建物名 |
建立年代 |
住所 |
タイトル |
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1・ | シャトーカミヤ | 1903(明治36年) | 牛久市中央3 | 日本初,本格ワイン醸造所 |
2・ | 水戸市低区配水塔 | 1932(昭和7年) | 水戸市北見町 | 優雅なゴシックアーチ |
3・ | 旧町屋変電所 | 1909(明治42年) | 常陸太田市西河内下町 | 住民が支えた保存への道 |
4・ | 土浦一高旧本館 | 1904(明治37年) | 土浦市真鍋4-4-2 | 県技師・駒杵が精魂を込める |
5・ | 東京三菱銀行水戸支店 | 1909(明治42年) | 水戸市泉町3 | 戦後に”復活”街挙げ祝う |
6・ | 下妻基督友会会堂 | 1823(大正12年) | 下妻市下妻乙 | 布教に生涯ささげた伝道師 |
7・ | 花貫川第1発電所第3号水路橋 | 1819(大正8年) | 高萩市秋山 | 変わることなく導水続け |
8・ | 横利根閘門 | 1921(大正10年) | 稲敷市西代地先 | レンガ、石造で最大級 |
9・ | 掩体壕 | 1944(昭和19年) | 鹿嶋市光 | 草木の中に戦争の悲劇 |
10・ | 日鉱金属日立工場大煙突 | 1914(大正3年) | 日立市宮田町 | 煙害克服に企業、住民が努力 |
11・ | 旧共楽館 | 1817(大正6年) | 日立市白銀町2-21-15 | 鉱山作業員の娯楽の場 |
12・ | 二水会館 | 1813(大正2年) | 水海道市天満町1606 | 水運拠点の活力伝わる |
13・ | 旧下利根小貝川沿岸水害予防組合事務所 | 1936(昭和11年) | 竜ヶ崎市六斗蒔 | 川との果てしなき戦い |
14・ | 県畜産試験場旧庁舎 | 1926(大正15年) | 友部町平 | 牛に情熱を傾けた先人の影 |
15・ | 気象庁地磁気観測所庁舎 | 1925(大正14年) | 八郷町柿岡 | 超国際水準の装置開発 |
16・ | 一木歯科医院 | 1922(大正11年) | 下館市甲 | 祖父が建てた頃の面影 |
17・ | 亀屋商事 | 1935(昭和10年) | 古河市雷電町1-78 | 製糸産業の盛衰見守る |
18・ | 旧水戸専売支局金砂郷煙草取扱所 | 1914(大正3年) | 金砂郷町下宮河内 | 全国一になった煙草栽培 |
19・ | 筑波山千手沢砂防堰堤 | 1939(昭和14年) | つくば市筑波 | 60年前の悲劇物語る |
20・ | JR常磐線折笠トンネル | 1816(大正5年) | 日立市折笠町 | 人、石炭の輸送支える |
21・ | 日立製作所日立工場本館 | 1936(昭和11年) | 日立幸町3 | 軍需工場に受けた大空襲 |
22・ | JR水戸線下館駅舎 | 1937(昭和12年) | 下館市田中町乙 | 昭和天皇もご利用 |
23・ | 日本聖公会聖パルナバ教会 | 1936(昭和11年) | 土浦市中央1-15-6 | 戦争の苦難を乗り越えて |
24・ | 古河テクノビジネス専門学校 | 1928(昭和3年) | 古河市中央1 | 東京・麹町区役所がモデル |
25・ | 北浦海軍航空隊跡 | 1942(昭和17年) | 潮来市釜谷、大生 | 若き特攻隊の起点 |
26・ | 本城橋 | 1929(昭和4年) | 水戸市三の丸地先 | 水戸一高の正門へ続く |
27・ | 岡田功邸 | 1823(大正12年) | つくば市松塚 | 父、祖父の地域診療の場 |
28・ | つくば銀行水海道市店 | 1823(大正12年) | 水海道市宝町 | 大正建築の荘厳さ、今も |
29・ | 旧真壁郵便局 | 1927(昭和2年) | 真壁町真壁 | 「世襲制」見届けた地域の顔 |
30・ | 蔵野歯科医院 | 1927(昭和2年) | ひたちなか市平磯町1161 | 地域医療、奉仕の中心 |
31・ | 石岡第一発電所 | 1911(明治44年) | 北茨城市中郷町石岡 | 谷底から供給続けて90年 |
32・ | 太田一高講堂 | 1904(明治37年) | 常陸太田市栄町58 | 印象的な天井の飾り模様 |
33・ | 水戸基督友会会堂(少友幼稚園) | 1912(明治45年) | 水戸市備前町 | 女性宣教師の愛情、今も |
34・ | 梅津会館 | 1936(昭和11年) | 常陸太田市西二町2186 | 棟梁がすべてを傾け |
35・ | 旧県庁舎 | 1930(昭和4年) | 水戸市三の丸1-5 | 県の発展ともに歩み |
36・ | 旧常磐銀行土浦支店 | 1817(大正6年) | 土浦市川口1 | 別れ待つ、近代化の象徴 |
37・ | 大みかクラブ | 1936(昭和11年) | 日立市大みか町6 | ゴルフの黎明期刻む |
38・ | 水府橋 | 1933(昭和7年) | 水戸市水府町地先 | 人命救った名誉の傷跡 |
39・ | 友部町立歴史民俗資料館 | 1937(昭和12年) | 友部町平町 | 古き良き大工仕事の秀作 |
40・ | 茨城大学五浦美術文化研究所六角堂 | 1905(明治38年) | 北茨城市大津町五浦727-2 | 再起をかけた天心、晩年の庵 |
41・ | 筑波山鋼索鉄道トンネル | 1925(大正14年) | つくば市筑波 | 最大勾配19度40分 |
42・ | JR常磐線高萩駅舎 | 1926(大正15年) | 高萩市高萩 | 石炭輸送駅の栄枯盛衰 |
43・ | 鹿島海軍航空隊跡 | 1938(昭和13年) | 美浦村大山 | 戦友と過ごした青春 |
44・ | 陸上自衛隊武器学校本館 | 1940(昭和15年) | 阿見町青宿 | 「生き恥」の予科練生 |
45・ | 水戸商業高等学校旧本館玄関 | 1904(明治37年) | 水戸市新荘3-7 | 保存の一念、学校一丸 |
46・ | 力新堂接骨院 | 1926(大正15年) | 高萩市本町 | 夢破れた医者が情熱 洋風木造 |
47・ | 幕末と明治の博物館別館 | 1929(昭和4年) | 大洗町磯浜 | 「志士」テーマに再生 |
48・ | 中里発電所 | 1908(明治41年) | 日立市東河内町 | ”電気屋”の喜怒哀楽刻む |
49・ | 水戸地方気象台 | 1935(昭和10年) | 水戸市金町 | 「観測史」刻んだ敷石 |
50・ | 重内炭坑跡 | 1901(明治34年) | 北茨城市磯原町大塚 | 栄枯盛衰見つめ |
2005.07.16製作
2005.10.05更新