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「本」及び「印刷」の雑学
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くえん辞書 ・・・ 辞書・辞典 : オンラインで利用できる辞書・辞典の一覧
語源から    
・・・ 一冊、二冊と本を数える時に使う。
    冊は竹や木で細い短冊上に書かれた物を紐を通してひとつのものにしたものを形にした表意文字。紐で括られた部分を一つの固まりとして見られた為、本など文章を纏めたものを数える時に使う。
・・・ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
    本(ほん)は、書籍、雑誌等の出版物のこと。狭義では、複数枚の紙が一方の端を綴じられた状態になっているもの。 この状態で紙の片面をページという。本を読む場合はページをめくることによって次々と情報を得ることができる。 つまり、狭義の本には巻物は含まれない。端から順を追ってしかみられない巻物を伸ばして蛇腹に折り、任意のページを開ける体裁とし
    たものを折本といい、折本の背面(文字の書かれていない側)で綴じたものが狭義の「本」といえる。
印刷の歴史 ・・・ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
    東アジアでは、2世紀ごろ中国で紙が発明され、7世紀ごろには木版印刷が行なわれていたといわれ、また11世紀には陶器による活字を使った印刷が行なわれていた。金属活字による印刷は13〜14世紀の朝鮮(高麗)にあらわれている。現存する印刷物で年代が判明しているものとしては、日本の百万塔陀羅尼がある。
日本最古及び    
世界最古の印刷物 ・・・ 百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)・・・神護景雲4(770)刊
    制作年代が明確な世界最古の印刷物。奈良時代の女帝、称徳天皇(718-770)の発願により作られた。延命、除災のための経典である無垢浄光陀羅尼経に説かれる根本陀羅尼、相輪陀羅尼、自心印陀羅尼、六度陀羅尼の四種の陀羅尼を印刷し、それぞれを百万基の小塔に納め法隆寺をはじめとする十大寺に分奉したといわれるが、今日残るのは法隆寺に伝来したものだけである。三重の小塔はろくろ挽きで、用材は塔身が檜、九輪は桂、桜など。塔の表面には白土が塗ってあったといわれる。経文の印刷方法については銅版説、木版説などあり、いまだ判明していない。
グーテンベルグ ・・・ 活版印刷の起源は中国・朝鮮半島の方で既に使われていた。
    グーテンベルクが"活版印刷の父"とされる理由は、鉛合金などの金属を利用した活字の鋳造、ワインを作る時に利用した葡萄を絞るワインプレスを改良した印刷機の製造、そして油性インキの利用などが挙げられる。こうした彼独自の技術開発が、その後の活版印刷の歴史を拓いた。しかし、この技術の秘密を守るためか、グーテンベルクは、ほとんど独力で活版印刷事業に取り組んでいた。そのため、自分の財産を注ぎ込み、借金を重ねた挙げ旬、多大な負債を抱えることとなり、裁判で争った結果、資金提供者のヨハン・フストらに、印刷途中で機材の一切を手渡すことになってしまった。その後の彼は不遇な晩年を送ったようである。「グーテンベルク聖書」には、現代の書籍のように奥付など印刷者・印刷年月日のクレジットが一切ない。そのため、長らく事業を引き継いだフストらが活版印刷の父とされた時代もあり、グーテンベルクの功績が認められるたのは、ようやく18世紀になってからのことだった。
グーテンベルグ聖書 ・・・ 1450年頃に、ヨハン・グーテンベルクがドイツ・ライン河畔にある町マインツで、西洋で初めての活版印刷を始めた。
天海版一切経 ・・・ 天海版一切経は天海の発願により寛永十四年に上野の寛永寺に経局を設けて開版され、慶安元年まで十二年を費やして完結したが、彼は完成を見ずして百八歳で世を去っている。
    初めは木活字による印刷で、後に整版に変っているがその木活字と版木は、今も寛永寺に保存されている。叡山文庫には天海版一切経六千余冊が所蔵されているが、これは日本最初の大蔵経刊行の企てであり、本邦出版史上における偉業と評されている。
木活字 ・・・  
金属活字 ・・・ 朝鮮最初の金属活字(銅活字)はグーテンベルクよりも早く、13世紀前半に鋳造されたものといわれるが、残念ながら現物は残っていない。
     木版印刷は新羅が朝鮮半島を統一したのち、8世紀前半からおこなわれていたといわれている。   14世紀末以降には、木、銅、鉄、鉛など、さまざまな素材の活字鋳造がこころみられた。とくに朝鮮は古くから冶金や彫金の高い技術をもっていたので、金属活字が発達した。
 朝鮮王朝第3代の太宗の治世(1401〜18)には大がかりな鋳造がおこなわれた。多数の銅活字がつくられ、『大学衍義(えんぎ)』そのほかが大量に印刷された。科挙制度を推進し、抑仏崇儒の政策をとった太宗には、儒教教典や史書を整備する必要があった。刊行はすべて勅版としておこなわれ、儒教教典は官吏に配布された。その後、第9代の成宗の時代(1469〜94)までに、合計300万本以上の活字が鋳造されたといわれる。
明治初期の金属活字 ・・・ 『東京日日新聞』は活版によって新聞を印刷する計画を持っていた。しかし、創刊号は木版による。『毎日新聞百年史』によると、照降町の蛭子屋に上海製活字が、本町二丁目の瑞穂屋に印刷機がそれぞれあり、それらを使って印刷を目論んだものの活字が足りず、木版摺りとなったのではないかという。
    第二号から活版に変わるが、やはり漢字が揃わず第一二号から木版摺りに逆戻り。木活字を経て再び金属活字に帰るのは第三〇四号(明治六年三月二日)からである。(東京大学「活字の世界」)
     
     
印刷に関する本    
印刷の話 ・・・ その精微な世界・・大日本印刷株式会社編  発行 日本規格協会
文字と書物 ・・・ 世界の文字と書物の歴史を探る 著者K.ブルックフィールド 発行 同朋社出版
紙と羊皮紙 ・・・ 紙と羊皮紙・写本の社会史 著者 箕輪成男  出版 出版ニュース社
     粘土版の世界から、パピルス、羊皮紙、紙を使っての出版の歴史を詳しく紹介している。中世のイスラム世界の図書館の充実度、文化の発展を語っています。
茨城の20世紀遺産 ・・・ 茨城にある近代化遺産を紹介
履歴 ・・・ 2005.05.25HPを立ち上げ、2005.06.12写真を入替え、2005.06.16カウンターを設置
     
     

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